これは、もう一度、丹念に歩いてみなければと思っていたらちょうど訪問の機会が訪れました。結論を先に書くと、それらしき蓋がありました。

Yanapongskiさんの研究ノートに貼られたリンクをたどって「日本水道史」(中島工学博士記念事業会 昭和2年発行)を読んでみると、大正13年3月の認可後に起工した第一期工事の区域はだいたい静岡城〜賤機山と阿部川に挟まれたJRの線路の北側のようです。
地図を見るとかなり整然とした区割り。どこから手を付けて良いのかわかりません。
もともとこういう区割りだったのか、最近区画整理されたのかも不明。
古い地図でもあれば良いのになと検索してみると、靜岡市詳細圖(昭和二年発行)という古地図を発見*。
基本的には、昭和初期からあまり変わっていないようです。
第一期工事の燈孔設置数は11個。いわゆる屈曲部に相当する箇所がもともと少なかったからかもと思い、古地図で道がうねっていているところを探したのですが、確かに少ない。しかも下の地図上赤丸のうねうね道は現在ありません。一方で青丸で囲った川筋は現在道路になっています。

Google mapの航空写真でその道路を見ると川筋の始まるところ付近に縁石付きの人孔蓋らしきものが写っています。

というわけで、その場所からスタート。やっぱり縁石付でした。ちょっと取って付けたような配置ですね。石がひとつだけ設置前に割れてしまったので、その分他の石の間隔を開けて並べたような。

結局、この暗渠っぽい通りには、それらしき蓋は見つかりませんでした。
ただ、付近には縁石付の蓋は結構ありました。


「日本水道史」によれば、人孔や燈孔の構造は名古屋市のものに準じたように記載されていますが、見つかった縁石付の蓋はいずれも東京市型でした。静岡市の東京市型蓋は、穴なしのものと4つ穴のものと22個すべて貫通しているタイプがありますが縁石付きの蓋はほとんどが写真のような全貫通タイプでした。これがオリジナルかもしれません。
石段の下の路地の蓋。

その後も、第一期工事の該当区域を歩き回ると相当数の縁石が。22穴の蓋だけ地表に出て縁石はアスファルトに埋められている状態のものを合わせると数十個はありました。第一期工事の人孔数は415個。縁石がすべて創設当時のものとは限りませんが、これだけ残っているところを見ると、戦後、それほど大規模な下水管の更新工事は実施されていないではないかと思われ、燈孔も残っている可能性があるのではと淡い期待を抱き、さらに調査。赤線部分とかもいい感じと思ったのですが、ふと何気なく青線の筋に入ってみると...

ありました。

地紋は見たことのないタイプですが細くて頼りない蝶番と直径約18p、名古屋市の燈孔蓋とよく似ています。
名古屋で見つけた2枚と同様縁石がないところは偶然? そう言えば、名古屋で見つけた一枚目もこの通りがくさいとにらんだ道の一本隣にありました。これは間違いなく偶然です。

古地図ではこの矢印のあたり。別に直線が長いわけでも屈曲しているわけでもないのけれど。。。ちなみ、赤丸で囲った細い道は現在はなくこの蓋のあった道から大通りにまっすぐ伸びる道に付け変わっています。ちょっと計画が変わっていればこの蓋も道路とともに消えていたかも。

この他、水道古蓋等、興味深い蓋をいくつか見つけましたが、それはまた後日。
*国際日本文化研究センター 所蔵地図データベース






































